1959年 日本映画
製作=東宝
監督 本多猪四郎
(出演者)
稲尾和久 志村喬 浪花千栄子 星由里子 西鉄球団全選手
「おそるべし稲尾和久」
その男は「鉄腕」と呼ばれ、
「神様・仏様・稲尾様」と並び称された大投手。
まさに「生きる伝説」。
その生い立ちから、プロ野球界で活躍するまでの伝記。
(稲尾プロフィール)
昭和31年、別府緑ヶ丘高校から西鉄ライオンズ入団。
1年目から21勝を挙げ、新人王。
その年から日本シリーズ3連覇の
西鉄ライオンズのエース。
昭和36年、シーズン42勝。
昭和44年シーズン後、現役引退。
生涯防御率1.98。
記録もすごいが、
語り継がれる実話伝説も多く残っている。
たとえば、
一日に二試合行うダブルヘッダーで
両試合に登板、1日2勝。
1ヶ月で9勝。
1シーズン内での20連勝。
日本シリーズ4連投4連勝。
日本シリーズで自らサヨナラホームランを放つ。
日本シリーズ通算最多の11勝。
8年で200勝(通算276勝137敗)。
昭和36年、78試合(404イニング)登板。
70試合以上登板のシーズンが4回。
プロ野球選手で最初の伝記映画が作られた人物。
しかし稲尾の本当の「すごさ」は別の部分にある。
特に投球に関しては
恐ろしく鋭い感覚の持ち主。
まずは有名な「逆算のピッチング」。
これは、投手が打者と対戦する時
相手の出方をうかがい、
バッテリー間で意志疎通をはかりながら
投球を考えるが、
それを全く逆にするのである。
最初に決め球を決め、
その決め球までのプロセスを
組み立ててから打者に向かうという、
極めて高度な技である。
目を閉じて投げても
外角低目に決まるといわれた
スライダーと、
右打者の内角をえぐるシュート。
そして手元で伸びるように感じるといわれたストレート、
この球種を武器に組み立ててゆくのである。
そして稲尾が編み出した究極の武器がある。
稲尾を史上最高の投手と認める
野村克也(プロ野球・楽天監督)に、
「この投球ができるのは、私が知る限りは稲尾だけ」
とまで言わしめるすごい投球術。
その武器とは、
「投球直前に打者の動きを見て、投げる球種を変える」
というものである。
右打者が外角狙いの姿勢を見せたら、
スライダーの握りをしていてもシュートを投げる。
内角狙いだと思ったらその逆、
ということを瞬時に実行したのだという。
まず常識では考えにくい。
稲尾自身が打たれた経験から、
プロの打者は
投手の
投げる直前のボールを握った手の
微妙な変化を見て
球種を読んでいるのではないか、
という憶測からこの投球を思いついたようだが、
誰にでも出来るというものではない。
スライダーとシュートでは全く違う握りをするし、
手首の動きを全く逆に変えなければならない。
それを、腕を振りながら変えるなど
まずもって不可能。
ストレートの握りから、
シュートに握りを変えるのであれば、
器用な投手なら可能かもしれないが、
並の投手には出来るはずがない。
縫い目に指をかける場所が変わる
ストレートからスライダーならなおさら。
それをわずかコンマ何秒のうちにやってのけた
稲尾はすごい。
肉体、頭脳、技術、度胸というものは
どこから生まれたのだろうか。
稲尾に関する本を読むと必ず出てくるのが
「漁師体験」である。
漁師の息子として生まれた稲尾は
少年時代から、
手こぎ船を漕いで漁の手伝いをしていた。
全身を使って漕がなければ
荒れた海の上で船はびくともしない。
強靭な肉体と筋肉を作り鍛え上げる
素晴らしいトレーニングを
波の間で図らずも実践していたのである。
